元死にかけ30代女子のネガティブループ脱却劇

かたづけをきっかけに死にたいマインドから抜け出した30代女子のブログ

答えは自分の中にある。正解を求めてしまう危うさとは?

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カジュアル投資家

やみーです。

 

「間違ってはいけない」

 

子供の頃から学校などで

刷り込まれてきたことだと思います。

 

その結果

 

用意された「正解」以外は

すべて間違いだ

 

という思い込みをしてしまう人も

多くいると思います。

 

そして

間違いたくないから

すぐに答えを知りたくなる。

 

今回は

 

誰もが陥る

正解を求める危うさ

 

これについて私の考えをまとめました。

 

 

正解を求める心理

「真実はいつもひとつ!」

 

ではありませんが、

 

明確な正解があると

ものすごく楽です。

 

なぜ正解があると楽なのか?

 

それは、

 

「考えなくていいから」

 

ということです。

 

考えるという行為は

とても疲れます。

 

かく言う私も

 

正解があるものに

吸い寄せられてしまいます。

 

小学校の頃は

答えがはっきりしている

という理由で、

 

国語よりも算数のほうが

好きでした。

 

本来学問は

答えがあるものを知る

というものではなく

 

探求するもの

だと思っています。

 

答えは変化する

「正解」というのは

普遍的なものとは限りません。

 

人によって異なったり

状況によっても変わります。

 

その人にとっては

正しくても

 

違う人にとっては

間違っている

 

そんなことはよくあると思います。

 

 

例えば、

「宗教」

 

一神教と多神教で

異なりますし、

 

食事に関しても

食べてはいけないものがあります。

 

無宗教の人には

基本的には

正解である行為も

 

その宗教を信仰している人にとっては

間違いということがあります。

 

 

物事には

いろんな側面があります。

 

自分が知っていることだけで

判断するのは

難しいかもしれませんが

 

それでも、

今の自分にとっての

「正解」を選ぶことが大切だと思います。

 

答えは自分が決める

何が正しくて

何が間違っているのか

 

誰かが教えてくれるなら

本当に楽だと思います。

 

実際は多数決の意見が

正しい意見だと認識されやすく

 

正解かどうか不安に思うのは

自分以外の誰かに否定されたくない

という気持ちもあると思います。

 

ある意味

自分を信じていない

とも言えると思います。

 

 

大事なのは

自分の答えを信じること。

 

そして

 

自分が信じる答えに向けて

行動すること

 

これが大切だと思います。

 

 

もし、

正解不正解があるのだとしたら

 

正解は

「自分の人生を生きる」

 

不正解は

「流される人生を送る」

 

私はそう思います。

 

最後に

正解というのは

とても甘美な響きですが、

 

大切なのは

自分にとって「答え」だと思います。

 

みんなが言っているからといって

自分にとっての正解とは限らない、

 

答えは人によって

異なっていて当たり前なのです。

 

 

最後までご覧いただき

ありがとうございました。